大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

水戸地方裁判所 昭和30年(ワ)22号 判決 1958年5月20日

原告 茨城県医療農業協同組合連合会 外三名

被告 吉井清吉 外二名

主文

原告らの請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

原告ら代理人は「(一)被告らは原告らのため別紙第一目録記載文面の謝罪広告を同目録記載の活字を以て連続して五回「いはらぎ新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」「産業経済新聞」の各紙上に掲載せよ。(二)被告らは連帯して原告茨城県医療農業協同組合連合会に対し金四十九萬六千九百九円を支払え。(三)訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに右(二)の金員支払について仮執行の宣言を求め、被告ら代理人は主文第一項同旨の判決を求めた。

第二、当事者の主張

一、原告らの請求原因

(一)  原告茨城県医療農業協同組合連合会(以下単に原告連合会と称する)は農業協同組合法に基き茨城県下の単位農業協同組合を会員とし医療事業を行う目的を以て設立された法人であつて、水戸市黒羽根町に茨城県協同病院、土浦市に新治協同病院を初め石岡、高萩、龍ケ崎その他主要都市に十数個の病院診療所等を経営し、学位を有する医師その他多数の医師、薬剤士、レントゲン技師、看護婦、事務職員ら三百数十名の職員を持ち、原告鈴木は茨城県協同病院長の職にある学位を有する医師であり、原告三村は東京外国語学校を卒業して昭和二十二年五月以降、原告荻谷は茨城県立第二高等学校を卒業して昭和二十六年五月以降いずれも同病院事務職員として勤務し同病院の受付事務等を担当している者である。

(二)  被告吉井は、昭和二十八年十二月十六日当時茨城県立自動車学校在学中であつた訴外吉井清(当時十九歳)の父であるが、右訴外清は右の日同校助教横須賀一郎の指揮監督の下に水戸市奈良屋町地内東照宮裏崖下の土木請負業者葵組道路建設工事場において貨物自動車に土砂積込の作業に従事中、同日午後二時二十分頃高さ十米幅十五米にわたる崖崩れがありその土砂のため生埋めとなりその発掘に約十分を要した後、水戸市消防本部の救急自動車により原告連合会経営の前記茨城県協同病院に運ばれ、次いで同市裡五軒町所在の国立水戸病院分室に治療を求めたが清は同日午後二時四十分頃死亡した。そして被告斎藤同秋山の両名は前記葵組工事場の現場監督として右同時刻その事故現場におり、被告斎藤は更に右清が死亡するまで同人に附添つていた者である。

(三)  而して訴外清がその附添人らによつて茨城県協同病院に運ばれてから立去るまでの間の経緯は次のとおりであつた。即ち右附添人らは同病院受付係である原告荻谷に対し「崖崩れの怪我人を連れて来たから手当をして貰いたい」との話であつたので原告荻谷は右の言葉から外科患者と判断したが、同日同時刻頃同病院内には外科医峯山泰は病気のため欠勤不在であり内科医山田雄一のみが在院した(院長である原告鈴木達は同時刻茨城県町村会館に開催された国民健康保険診療報酬審査会に委員として出席不在中で、他の医師二名はいずれも往診のため不在中であつた。)けれども右山田医師はその時丁度広範囲にわたる病棟内の入院患者を廻診中でこれを探し出し手当を施すまでには相当の時間を経過して仕舞う事情にあつたので、原告荻谷はむしろ斯る場合の処置としてかねて医師から受けていた指示に従い同病院に近い同市仲町の青木外科医院(同医院は右協同病院と特別の関係を保ち同病院の連絡があれば即時診療に当つて呉れることになつて居る。)に行つて手当を受けて貰うことが治療にはもとより時間的にも患者に最善の方法と信じ、手当を求めた附添人らに対し外科医の不在を告げ、右青木外科医院に赴き診療を求められたき旨話し、附添人らはこれを諒解して同病院を立去つたものであつて、手当を拒否した事実はない。即ち附添人らの承諾によつて手当をしないことになつたもので、此の間の時間は約一分であつた。

(四)  然るに被告斉藤同秋山の両名は前記の如く事故現場にあつてその時の一切の事実並びにその後の事実を知悉して居るに拘らず、同年十二月二十二日故意に茨城県協同病院の処置に不当ある如き内容を記載した「口述書」と称する事故発生後の経過説明書の如き捏造文書(甲第十三号証)を作成しこれを被告吉井に手交し、同被告はその情を知りながら被告斉藤同秋山と共同して該文書記載の事実を真実の如く装い、同年十二月二十八日頃茨城県庁公聴課陳情面接室において新聞記者に対し、(イ)前記のように同病院に立寄つた約一分の時間を約十分の如く(ロ)同病院受付係であつた原告荻谷が前記のような病院内の事情からむしろ好意的に外科医不在故青木外科医院に赴き診療を求められたき旨話し、医療手当を求めた附添人らはこれを諒解して同病院を立去つたものであり、しかも右青木外科医院に行かず、ことさらに遠距離なる国立水戸病院分室に赴いたものであるのに、原告らの病院に再三懇請したが手当を拒絶されたので已むなく国立水戸病院分室に手当を求めたとか(ハ)茨城県協同病院の手当拒絶とその交渉に要した約十分が死の原因であるなどと虚偽の事実を談話してこれを発表した。これがため、同月二十九日附「朝日」「毎日」「読売」及び「産業経済」の各朝刊新聞紙(茨城版)上に一号活字その他の活字を以て「″不親切な協同病院″生埋めで死んだ吉井君の父が告訴」(朝日新聞)「協同病院の処置を恨む父親」「″死ななかつたろうに……″ガケ崩れで息子失い告訴」(毎日新聞)「外科医不在で応急手当を拒否、生き埋めの自動車学校生死亡事件」「水戸協同病院を告訴″悲劇をくり返すな″と実父が決意」(読売新聞)「″協同病院は無情だ″助かつたかもしれぬ吉井君」「外科医が不在と一蹴、懇願したが手当を拒む」(産業経済新聞)等の大見出しで別紙第二目録<省略>記載の通りの内容の虚偽にして悪意に満ちた新聞記事が掲載され、これにより原告鈴木、三村、荻谷らの外原告連合会勤務職員並びに同原告経営の病院に勤務する一般職員をも非難した如く一般読者に誤信され、原告らの名誉は甚しく毀損され、原告連合会はその信用を害せられ、又その余の原告らは重大なる精神的苦痛を蒙つた。そして右記事掲載のため原告連合会はその事業運営上に支障を生じ、之が回復と運営上の障害除去又は之が障害の発生予防のため別紙第三目録<省略>明細書記載の通り合計金四十九萬六千九百九円の出捐をよぎなくされ因つて同額の損害を蒙るに至つた。

(五)  而して右記事掲載は次の如き被告らの故意又は過失に基因するものであつて、これにより原告らの蒙つた前記各損害は被告らの共同不法行為によるものである。即ち前記の如く被告らは被告斉藤同秋山が作成した前記口述書なる文書が捏造文書であることを知りながら該文書記載の事実を真実の如く装い茨城県庁公聴課陳情面接室において新聞記者に対し虚偽の事実を談話してこれを発表したのであるが、新聞記者に斯る虚偽の事実を談話発表すれば記者はこれを記事として新聞に掲載しその結果原告らの名誉を毀損し重大な損害を与えることを知つていたものであり、又は過失によつてこれに気付かずして談話発表したためその談話の内容がそれぞれ記事として前記の如く各新聞に掲載されるに至つたものであるから、これが掲載により原告らの蒙つた前記各損害と被告らの談話発表(記事の提供)との間に相当の因果関係あること明らかである。仮に被告吉井が前記口述書なる文書に記載されてある事実が捏造虚偽であることを知らなかつたとしても、事故発生後十数日を経過した昭和二十八年十二月二十八日頃には通常人の注意を以て調査すれば右記載事実が虚偽であることを知り得べきものであるに拘らず何らその真偽を確める態度にも出でず漫然真実なりとして新聞記者に談話発表したのは過失である。更に又、仮に前記新聞記者に談話発表したのは被告吉井のみであつて、被告斉藤同秋山の両名はこれに関係がなかつたとしても同被告両名において前記の如き捏造文書を事故現場及びその後死亡までの経過を知らない被告吉井に手交すれば、同被告がこれに基いて新聞記者に談話発表しその結果原告らの名誉を毀損するものであることを知つて居り、仮に知らなかつたとすればそれは右被告両名の過失によりこれに気付かなかつたものといわなければならない。

(六)  以上の次第で前記新聞記事掲載によつて原告らの蒙つた損害は被告らの共同不法行為によるものであるから、被告らは民法第七百十九条前段により連帯してその損害を賠償する義務がある。仮に共同不法行為者である被告ら三名のうち何人が前記の如く虚偽の事実を発表したか不明のときは同法条後段により被告らは連帯して損害賠償の責任がある。よつて原告らは被告らに対し申立(一)記載のとおり、原告らの名誉を回復するため必要な謝罪広告の掲載を求めると共に原告連合会は被告らに対し同原告の蒙つた財産的損害の賠償として金四十九萬六千九百九円の支払を求める。

二、被告らの答弁

原告ら主張の請求原因(一)及び(二)の各事実は認める。同(三)の事実は否認する。同(四)の事実のうち被告斉藤同秋山の両名が原告ら主張の日事故当時の事情を記載した文書(甲第十三号証)を作成しこれを被告吉井に手交し亡清の霊前に捧げたこと、被告吉井が原告ら主張の日時茨城県庁公聴課陳情面接室に行つたこと及び原告ら主張の各新聞紙上にその主張の如き見出しで別紙第二目録記載の如き内容の各新聞記事が掲載されたことはいずれも認めるが、右甲第十三号証の文書が捏造文書であること、右各新聞に記事として掲載された事実が虚偽であること、その他原告ら主張の事実はすべて否認する。同(五)及び(六)の各事実は争う。

被告吉井の二男清が崖崩れによる土砂のため生埋めとなつたのは昭和二十八年十二月十六日午後二時二十分頃で、発掘に要した時間約十分、現場から茨城県協同病院まで運ぶのに要した時間が約四分とし、同日午後二時四十分頃死亡したのであるから、清が同病院に運ばれた同日午後二時三十四分頃には同人は未だ生存中であつて、同病院受付係が窒息仮死状態にあつた救急患者の手当を拒否しなかつたならば窒息死を免れるべき状態であつた。それを受付係であつた原告荻谷及び三村は救急車により運ばれた急病患者であることが判つて居り、しかも反覆して医療手当を求められたにも拘らず頑強にこれを拒否し、因つて清を死亡するに至らしめたことは数名の医師を常勤せしめる病院としてあるまじき行動である。原告ら主張の各新聞紙上に前示の如き記事が掲載されたのは右の事実を探知した新聞記者が公憤を発し事実を調査して記事としたもので、被告らが掲載を求めたものではない。仮に記事に事実と相違する点があつたとしても、新聞記者が記事を取材することは自由であり、各新聞社の編集整理担当者がこれを取捨選択し独自の調査判断に基き編集し新聞紙に掲載するのであるから、新聞社自体に責任を追及するなら格別、被告らに責任を追及することは失当である。よつて原告らの本訴請求は理由なく棄却さるべきである。

三、右答弁に対する原告らの陳述

原告らの主張に反する部分は否認する。本件記事は新聞記者がその主観により作成したものではなく、被告らが前記口述書に基いて虚偽の事実を発表提供したのでその部分が引用されて新聞に掲載され、これによつて原告らの名誉が毀損されたのである。この事は別紙第二目録記載の各新聞記事中にいずれも被告齊藤同秋山の手記若くは口述によるものとして″…………″又は「………」等の符号により被告らの発表提供した部分が引用掲載されてあることによつて明らかである。

第三、証拠方法

一、原告ら代理人は甲第一号証・第三ないし第八号証・第九号証の一ないし三・第十ないし第四十号証・第四十二ないし第五十三号証・第五十四号証の一ないし三・第五十五、第五十六号証の各一ないし四・第五十七号証・第五十八号証の一ないし八・第五十九号証の一ないし五・第六十号証の一ないし四・第六十一号証の一ないし三(第二、第四十一号証は欠号)を提出し、証人佐藤公亮の証言を援用した。

二、被告ら代理人は被告齊藤久雄本人尋問の結果を援用し、甲第一、第三号証・同第四十八ないし第五十一号証の各成立はいずれも不知、その余の甲号各証の成立(内第四十五号証・第五十四号証の三はいずれも原本の存在並びに成立)は全部認めると述べた。

理由

一、原告連合会がその主張の如き法人であつて、水戸市黒羽根町所在の茨城県協同病院その他の病院診療所等を経営していること、そして原告鈴木は右茨城県協同病院長の職にあり又原告三村同荻谷はいずれも同病院の事務職員として受付事務等を担当している者であること、昭和二十八年十二月十六日、当時茨城県立自動車学校在学中であつた被告吉井の二男清(当時十九歳)が右の日同校助教横須賀一郎の指揮監督の下に水戸市奈良屋町地内東照宮裏崖下の土木請負業者葵組道路建設工事場において貨物自動車に土砂積込の作業に従事中、同日午後二時二十分頃高さ十米幅十五米にわたる崖崩れがあり、その土砂のため生埋めとなりその発掘に約十分を要した後、水戸市消防本部の救急自動車により前記茨城県協同病院に運ばれ、次いで同市裡五軒町所在の国立水戸病院分室に治療を求めたが、清は同日午後二時四十分頃死亡したこと、そして被告斉藤同秋山の両名は前記葵組工事場の現場監督として右同時刻その事故現場におり、被告斉藤は更に右清が死亡するまで同人に附添つていた者であること、及び同年十二月二十九日附原告ら主張の各新聞紙上にその主張の如き見出しで別紙第二目録記載の如き内容の各記事が掲載されたことはいずれも当事者間に争がない。

二、而して右各新聞記事(以下本件記事と称する)における報道内容の要旨は「前記崖崩れで生埋めとなつた清を最初事故現場から最も近い茨城県協同病院に救急車で運び同病院受付係に再三応急手当を頼んだが、同受付係は『外科医がいないから』との理由で手当を拒否し、約十分の貴重な時間を空費したゝめ手遅れとなり遂に清を死亡するに至らしめた。」という趣旨に帰するのであつて、右事実のうち原告らが虚偽で原告らの名誉を毀損されたと指摘主張する主要な点は「受付係が手当を拒否し、約十分の時間を空費したゝめ手遅れとなり遂に清を死亡するに至らしめた」旨記載してある部分に帰着するのであるが、新聞記事の内容が事実に反し人の名誉を毀損すべき意味のものかどうかは、一般読者の普通の注意と読み方とを基準として通常如何なる印象を与えるかを標準とすべきことはいうまでもない。それで右基準に従つて本件記事を見ると、本件記事は原告ら主張の活字を使用した前記見出しの下に前示の如き趣旨の記事が客観的事実として報道されると共に成立に争のない甲第五ないし第八号証によつて認められる如く本件記事は朝日新聞を除いていずれも茨城(地方)版の冒頭に掲げられてあること等によつて、これを読む一般読者に対し恰も原告連合会の経営する茨城県協同病院受付係の不親切ないし不当な処置のため死なずに済んだ救急患者を死亡するに至らしめて仕舞い、人命をあずかる病院としてあるまじき処置を敢えてしたかのような印象を与えるであろうことはこれを推察するに難くないばかりでなく、成立に争のない甲第六十一号証の二の供述記載と証人佐藤公亮の証言によれば、原告連合会傘下の各病院診療所の医師役員、各単位農業協同組合役員でさえ、本件記事によつて右のような印象を受けた結果、それらの者その他から原告連合会に対し詰問ないし問合せが相当あつたことが認められるから、若し原告らの指摘主張する前記事項がその主張の如く事実に反し虚偽であるならば、本件記事によつて前記茨城県協同病院の経営者である原告連合会の名誉信用は不法に毀損されると共にその社会的声価を滅ぜられたということができる。

原告らは本件記事によつて原告連合会のみならず原告鈴木、三村、荻谷らの各名誉も毀損せられ同原告らは重大な精神的苦痛を蒙つた旨主張するが、本件記事は別紙第二目録記載の如く手当を拒否した受付係として「年齢二十四、五歳の女と四十歳ぐらいの男」(朝日、産業経済新聞)とか或は「二十四、五歳の看護婦と四十歳ぐらいの男事務員」(毎日、読売新聞)というように表現掲載されてあるのみで氏名はもとより右「二十四、五歳の女」が原告荻谷で、「四十歳ぐらいの男」が原告三村であることを一般読者をして識別せしめ得るような記載がなく、又原告鈴木については後記の如く協同病院長としての同人の談話が掲載されてあるのみでその他に何らの記載がないのであるから、本件記事によつては未だ原告鈴木、三村、荻谷ら各個人の名誉が毀損されたものと認めることはできない。従つて本訴請求中本件記事によつて名誉を毀損されたことを前提とする同原告ら三名の請求は既にこの点において失当といわなければならない。

三、そこで進んで原告連合会の主張する前記事項が事実に反し虚偽であるかどうかについて審按するに、成立に争のない甲第十五号証・同第十七、第十八号証・同第二十ないし第二十八号証・同第三十ないし第三十四号証・同第三十六号証・同三十八、第三十九号証・同第四十二、第四十三号証・同第五十八号証の二ないし七・同第六十号証の二、三の各供述記載(以上のうち後記措借しない部分を除く)並びに同第四十七号証・同第五十四号証の一ないし三・同第五十五号証の一ないし四の各記載を総合すれば、訴外清は崖崩れによる土砂のため生埋となつてから約十分で発掘救出された後、被告斉藤外人夫二名及び生徒数名附添の上急報連絡によつて馳けつけた水戸市消防本部の救急車(消防自動車)により約三、四分で茨城県協同病院に運ばれたのであるが、右清を車から降ろさない先に消防士長谷川弘治が同病院受付窓口に馳け込み同受付係であつた原告荻谷に対し「崖崩れで生埋めになつた怪我人を連れて来たから直ぐ診て貰い度い」旨申出でたこと、これに対し原告荻谷は右長谷川の言葉や救急車で来たこと等から急を要する外科患者と直感したが、当時偶々同病院外科医峯山泰は病気のため欠勤不在で、内科担当の医師山田雄一が一人だけ在院していた(院長である原告鈴木は同時刻水戸市南三の丸所在茨城県町村会館において開催されていた国民健康保険診療報酬審査会に委員として出席中であり、他の内科医磯部保及び小児科医宇津志元享はいずれも往診中で在院しなかつた。)けれども、右山田医師はその時刻丁度四病棟四十二室ある同病院各室内の入院患者を廻診中であつたため同医師を探し出し手当を施すまでには相当の時間を経過して仕舞う状況であつたことと、同病院においては従前から同病院に近い同市仲町所在の青木外科医院(個人経営)と特別の関係を保ち同病院の外科医不在その他手不足の場合には同病院の患者を右青木外科医院に紹介するのを例としていたので、原告荻谷は咄嗟の場合むしろ右青木外科医院に車のまゝ行つて手当を受けた方が治療にはもとより時間的にも患者のために最善の方法と考え、前記長谷川に対し「外科の先生が休んでいるので仲町の青木外科医院に行つて貰い度い」旨言つたこと、そうするとそのすぐ後から受付窓口にきた被告斉藤が「外科の先生が休みなのか」と問い返したのでこれに対し原告荻谷は再び外科医が不在である旨答えたこと、そこで右長谷川及び被告斉藤の両名は直ぐ救急車に馳け戻り、その時他の附添人らが清を車からなかば降ろしかけていたのを再び車に乗せ直して同市裡五軒町所在の国立水戸病院分室に運び込み、同病院の医師及び看護婦により約一時間にわたり強心剤注射、酸素吸入による人口呼吸等の応急手当が施されたが清は遂に蘇生しなかつたものであること、そして前記被告斉藤ら附添人が清を協同病院に運びそれから立去るまでに要した時間は約一、二分位であつたこと、以上の事実が認められ、前記甲第十五、第十七、第四十二、第四十三号証・同第五十八号証の三、四及び成立に争のない甲第五十九号証の三、四の各供述記載並びに被告斉藤久雄本人尋問の結果中前示認定に反する部分は前顕各証拠と対比していずれも信用できないし、他に前示認定を動かすに足る証拠はない。

被告らは清が救急車により茨城県協同病院に運ばれた前示十二月十六日午後二時三十四分頃には同人は未だ生存中であつて同病院受付係が窒息仮死状態にあつた救急患者の手当を拒否しなかつたならば窒息死を免れるべき状態であつたのを受付係が強頑に手当を拒否し因つて清を死に至らしめた旨主張し、右主張事実のうち清が救急車により右病院に運ばれた同日午後二時三十三、四分頃には同人は未だ生存中であつたことは前示認定の事実からそう推認しなければならないけれども、同病院受付係であつた原告荻谷が頑強に手当を拒否したとの事実については必ずしもそうではなく、前記の如き当時の協同病院内における医師の状況から咄嗟の場合全くの善意で外科医不在故青木外科医院に行つて貰い度い旨言つたものであること前示認定の通りであり、又仮に原告荻谷の右処置が結果において医療手当を拒否したものであるとしても、そのことと清の死亡との間に因果関係があるとの事実、言い換えれば原告荻谷が清の附添人の求めに応じ直ちに在院中の山田医師らに連絡し応急手当が施されたならば清は死亡せずに済んだとの事実についはこれを肯認するに足る何らの証拠もないのである。

そうだとすると、本件記事中原告連合会の前記指摘する事項は重要な点において事実と相違し、これにより同原告の名誉は不法に毀損されたものといわなければならない。

四、然るところ原告連合会は本件記事の掲載は被告らの故意又は過失に基因するものであつて、これにより同原告の蒙つた損害は被告らの不法行為によるものである旨主張するので以下この点について考えて見る。

被告斉藤同秋山の両名が昭和二十八年十二月二十二日事故当時の事情を記載した文書(甲第十三号証)を作成し、これを被告吉井に手交したこと、被告吉井が同年十二月二十八日頃茨城県庁公聴課陳情面接室に行つたことはいずれも被告らの認めるところであり、又前記甲第五ないし第八号証によれば同月二十九日附の本件記事(毎日新聞を除く)中にはいずれも被告斉藤同秋山両名の口述又は手記によるものである旨説明ないし引用(………」若くは″………″の符号を以て)掲載されてあるが、それら記事の部分と右甲第十三号証の文言とを比較照合すればその内容が殆んど同一であることが認められる事実に、前示認定の事実並びに成立に争のない甲第四号証・同第十三号証の各記載、同第十ないし第十六号証・同第二十九号証・同第三十七号証・同第四十二、第四十三号証・同第五十八号証の三・同第六十一号証の三の各供述記載及び被告斉藤久雄本人尋問の結果(但し以上のうち前記措信しない部分を除く)を総合すれば、本件記事掲載に至るまでの経緯は次の通りであつたことが窺える。即ち崖崩れで窒息仮死状態にあつた清に附添つて協同病院に行つた長谷川弘治と被告斎藤久雄らが清の診療手当を求めた際原告荻谷は「外科医が休んでいるので青木外科医院へ行つて貰い度い」旨をいつたことは前認定のとおりであるが、原告荻谷は右応対の際、当時の同病院内の事情が前示の通りで、医師を探し出し手当を施すまでには相当の時間を経過して仕舞う状況であること、青木外科医院が同病院と前示のような特別の関係にあること、従つてこれらの事情から判断しむしろ直ちに青木外科医院に行つて診療を受けた方が患者のため良策と考えられるということを前記長谷川や被告斉藤に説明せずたゞ「外科医が休んでいるので青木外科医院へ行つて貰い度い」旨言つたのみであつたので、これを聞いた被告斉藤らはもとより前示事情等を知るに由なく、しかも原告荻谷が何ら医師等に連絡した様子もないところから、原告荻谷の右処置に不満の念を抱くと共に手当を拒否されたものと感じ、やむなく清を再び車に乗せ直して国立水戸病院分室に運んで(被告斉藤らは急いでいたので青木外科医院のことは念頭に残らなかつた)応急手当を受けたのであるが、遂に清は蘇生せず同病院の医師から手遅れであつたと言われたので、被告斉藤は若し最初に清を協同病院に運んだとき同病院で直ぐ手当をしてくれたならば清は死なずに済んだであろうと考えた(医学上の専門知識のない一般人がこう考えたとしても無理からぬところである。)こと、そして十二月二十二日清の初七日の日に被告斉藤同秋山の両名が清の焼香に被告吉井方に行つた際、被告吉井から事故発生当時並びにその後の事情等を聞かれ、親戚の者に見せたいから右の事情を書いてくれと言われたので、被告斉藤は同人が当時見聞し感じたまま(多少誇張した嫌いはあるが)を記載した前示甲第十三号証の口述書を作成し、被告秋山がこれに連署捺印して被告吉井に手交したものであること、被告吉井は事故当日清の死を知つたが、翌十二月十七日近所の人から同日附の「いはらき新聞」によると最初協同病院に清をかつぎ込んだが「外科医がいない」と断わられたため応急手当が遅れて死んだという話を聞き、右新聞(甲第四号証)を見たところ、右趣旨の記事が掲載されてあり、更に同月二十二日被告斉藤同秋山作成の前示口述書を読んで、若しその記載の通りの事情であるとすれば、協同病院受付係の処置は不当であり、これがために死なずに済んだ最愛の息子を失うに至つたと考え断腸の思いをすると共に憤慨したこと、そして同月二十八日頃訴外吉井藤七郎(同被告の弟)と共に事実調査のため水戸市消防本部の前記長谷川弘治らに会つて当時の事情を聞いたところ、大体右の口述書記載の通りの事情に間違いないとの確信を得たので、その日茨城県庁公聴課陳情面接室(県民室)に行き新聞記者に会つて前示口述書に基いて当時の事情等を話したのでこれが材料となつて同月二十九日附の前記各新聞に前記の如き内容の本件記事が掲載されるに至つたものであること、以上の事実を窺い知ることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

原告連合会は被告斉藤同秋山の両名は事実に反することを知りながら故意に前示甲第十三号証の口述書を作成しこれを被告吉井に手交し、同被告はその情を知りながら被告ら三名共同して該文書記載の事実を真実の如く装い十二月二十八日頃茨城県庁公聴課面接室において新聞記者に対し虚偽の事実を談話してこれを発表したものである旨主張し、右のうち被告斉藤同秋山の両名が甲第十三号証の口述書を作成してこれを被告吉井に手交し、同被告が十二月二十八日頃茨城県庁公聴課陳情面接室で新聞記者に会い右口述書に基いて当時の事情等を話したことは前認定の通りであるが、その余の事実即ち被告斉藤同秋山の両名が事実に反することを知りながら故意に甲第十三号証の口述書を作成したこと及び被告吉井がその情を知りながら被告斉藤同秋山と共同して該文書記載の事実を真実の如く装い故意に新聞記者に虚偽の事実を談話発表したとの事実についてはいずれもこれを認めるに足る証拠がない。更に又原告連合会は仮に前示新聞記者に談話発表したのは被告吉井のみであつて被告斉藤同秋山の両名はこれに関係がなかつたとしても、同被告両名において右口述書を事故現場及びその後清死亡までの経過を知らない被告吉井に手交すれば同被告がこれに基いて新聞記者に談話発表しその結果原告連合会の名誉を毀損するものであることを知つて居り、仮に知らなかつたとすれば過失によりこれに気付かなかつたものである旨主張するが、右前段の故意の事実はこれを認め得る証拠なく、又後段の過失の点については被告斉藤同秋山の両名が右口述書を作成してこれを被告吉井に手交した事情が前示認定の通りであることに徴して考えれば、被告斉藤同秋山の両名が右口述書手交の際、後日被告吉井がこれに基いて新聞記者に事故当時の事情等を談話し記事の材料を提供することがあるかも知れぬことに気付かなかつたとしても、これを以て直ちに被告斉藤同秋山の過失とは言い難い。

以上認定の事実からすると、本件記事は被告吉井が前示口述書に基いて事故当時の事情等を新聞記者に話し記事の材料を提供したのでこれが主要なる取材源となつて新聞に掲載されるに至つたものということができる。然しながら新聞記者に対し記事の材料を提供した者はその記事によつて他人の名誉を毀損した場合に常に必ず不法行為上の責を負うべきものであると解することはできない。なぜならば新聞記事は通常記者がその自由な判断によつて取材した事項を取捨選択してこれを新聞社に送稿し、新聞社のいわゆる「デスク」といわれる編集整理担当者が更にこれを取捨整理して初めて記事として新聞に掲載されるものであり、しかも記事が客観的事実として報道される場合には記者及び編集整理担当者においてその事実の真偽を調査する義務のあることは当然であるから、このような新聞記事作成上の機構から考え、記事の材料を提供する者が当初から故意に或る事項が事実に反し虚偽であることを知りながら又は過失によつて知らずに記事の材料を提供したという場合は格別、そうでなく何ら故意過失なくして或る事項が真実であると信じてこれを新聞記者に話し記事の材料を提供したような場合にはその記事による名誉毀損について不法行為上の責を負わないと解するのを相当とするからである。

そこで右の観点から本件の場合を考えて見るに、被告吉井が前示の如く新聞記者に会つて前記口述書に基き本件事故当時の事情等を話して記事の材料を提供した当時、該文書に記載してある事項が事実に反し虚偽であることを知りながら故意にこれをなしたとの事実の認められないこと前示の通りであり、又過失の点について、原告連合会は仮に被告吉井が右口述書記載の事項が事実に反し虚偽であることを知らなかつたとしても、事故発生後十数日を経過した十二月二十八日頃には通常人の注意を以て調査すれば右記載事項が虚偽であることを知り得べきであるに拘らず何らその真偽を確める態度に出ず漫然真実なりとして新聞記者に談話発表したのは過失であると主張するが、然し被告吉井としては何らの調査もせずにたゞ漫然前示口述書記載の事実を真実であると軽信したわけではなく、前認定の通り事故当日被告斉藤と共に協同病院に行つた水戸市消防本部の消防士長谷川弘治らに会つてその真偽を確めた結果、前示口述書記載の通り大体間違いないと信じたのである。尤も被告吉井が右長谷川らの外に更に協同病院側について原告荻谷らから当時の事情を聞いたならば或は事の真相を知ると共に当時の同病院内の状況から己むを得なかつたものとして原告荻谷のとつた前記処置を諒解したかも知れない。然し本件の場合の如く思わぬ

突発事故で最愛の息子を失い悲痛この上もない立場にあつた当時の被告吉井をして更にその上協同病院側について調査することを求めるのはいささか酷に失すると考えられる。それ故被告吉井が協同病院側についても調査しなかつた事実を捉えて直ちに同被告の過失とはなし難いのである。なお原告連合会は本件記事は新聞記者がその主観により作成したものではなく、前示口述書に基いて虚偽の事実を発表提供したのでその部分が引用されて新聞に掲載され、これによつて原告連合会の名誉が毀損されたものである旨主張し、本件記事に前示口述書と殆んど同一の文言内容が引用掲載されてあることは前示の通りであるけれども、本件記事は右の部分のみではなく、本件事故の概要を客観的事実として報道してあることも亦前認定の通りである。そして右の引用部分はいわば関係当事者の一方のいい分をそのまま掲載したというに過ぎず、もし新聞社の方で原告連合会のいい分を十分調査し、これをそのとおり掲載するの処置をとり、双方の主張が相反するものであることを明らかならしめたならば、原告連合会の声価信用を毀損することもなかつたのではなかろうかと思われる。しかるに朝日新聞の記事(甲第五号証)には原告連合会側の主張は全然掲載してなく、毎日・読売・産経新聞の各記事(甲第六、七、八号証)には、原告連合会側として協同病院長たる原告鈴木達の談話を掲載してあるが、それは、「申訳ないことをしたと思つている」とか、「不注意でした」とか「直ちに病院勤務者特に受付に対しては厳重に申伝えました」とか、要するに協同病院の勤務者の処置が不当であつたことを認めているような趣旨のものであるが、成立に争のない甲第六十号証の二・同第三十五号証によれば、院長たる原告鈴木達は、当時新聞記者より電話で質問を受けた際、協同病院で時間を食つたために死んだとすれば非常にお気の毒で誠に申訳ないと思うとの趣旨を答えたのであつて、病院側の処置に不当のあることを認めてはいなかつたことが窺われるのである。このように原告連合会側よりの取材に妥当を欠くものがあつたことと、″不親切な協同病院″″協同病院は無情だ″、「外科医が不在と一蹴「懇願したが手当を拒む」といつたような表題見出し、ないしは例えば読売新聞の記事(甲第七号証)「協同病院で外科医がいないと拒否したため時間を争う手当が十分近くも無駄になつた」旨客観的事実としての報道、これらが主として原告連合会の声価信用毀損する原因をなしているものというべきであり、殊に新聞の報道は一般に精読されるというよりは、むしろ表題等に重きを置いてそのまま読過されがちのものであるから、右引用掲載の部分により原告連合会の名誉が毀損されたとする同原告の右主張は採用できない。

然らば本件記事による原告連合会の名誉毀損については、被告斉藤同秋山の両名はもとより被告吉井についても前示の理由により不法行為上の責任なきものというべく、従つてこれが存在を前提とする原告連合会の本訴請求も亦他の争点につき判断するまでもなく失当といわなければならない。

五、よつて原告らの本訴請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条・第九十三条・第九十五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 多田貞治 広瀬友信 羽石大)

第一目録

(弐号活字)                 (壱号活字)

″茨城県医療農協連合会と協同病院鈴木院長等に″ 謝罪する

(参号活字)

崖崩れで死んだ吉井清の父と現場監督者の秋山、齊藤氏等が

(普通活字)

昭和二十八年十二月十六日茨城県自動車学校生徒であつた吉井清が水戸市奈良屋町の道路工事場で作業中崖崩れの為生埋めとなつたとき私達が事実を曲庇して茨城県協同病院を非難する発表をしたためそれが真実の如く各新聞紙上に発表されたので茨城県医療農業協同組合連合会(会長朝野徹)殿や茨城県協同病院長鈴木達殿、同病院勤務の三村勇殿、荻谷きよ殿等の名誉を毀損し非常な御迷惑をかけたことについては衷心より謝罪します。

(参号活字)

茨城県東茨城郡御前山村字野口

吉井清吉

茨城県水戸市松本町四丁目

秋山進一

茨城県水戸市 木町

斉藤久雄

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例